レイヤー?何それ?美味しいの?
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二章:湖城の秘密 その4

 エレンは息を弾ませ、急な階段を駆け上ります。
「依頼完遂の報告なんですけど」
「エレンさーん!美味しい仕事ないー?」
 途中、すれ違う絵師達に声をかけられますが、手を振って忙しいことをアピールし、最上階へと向かいます。
 その胸にはアリーチェに書かせた申請書類と、彼女の教育者であるという、あの有名人オーギュストの紹介状をしっかりと抱えています。
「あーっ疲れた……」
 ようやく最上階である十五階まで登りきったエレンは、壁に手をつき、乱れきった呼吸を整えます。
 そろそろ三十歳、さすがに十五階を一気に駆け上るには辛い年齢になってきました。
「オーギュスト、ねぇ……まぁ、偽者でしょうけど」
 ちらりと書類に目をやり息をつきます。オーギュストといえば、こくばん使いの中でも随一の有名人。もう十数年も前に指導者をやめたはずが、今でも彼の指導を受けたと嘘をつき入会しようとする絵師希望者は後を絶ちません。
「さて……起きてるといいけど」
 エレンは古びた木製扉の前に立つと、拳を握り締め遠慮の欠片もない強さで扉を叩きます。
「会長!新しい希望者ですよ!」
 大きな声で呼びかけるものの、案の定いつものように返事はありません。
「あー、やっぱり寝てたか……会長!入りますよ!」
 エレンは肩を落とすと、返事を待たず扉を開けて部屋の中へと足を踏み入れます。
 部屋はとても責任者のものとは思えないほどの狭さで、家具らしい家具といえば大きめの机と簡素な椅子、それから机に横付けされた小さなベッドだけ。
 そして更には机の上やわずかに残った床を埋め尽くすように大量の本と書類が山積みになっていて、かろうじて出入り口の扉が開け閉めできるスペースだけが残っています。
「会長!起きてください!」
 エレンが声を張り上げます。ベッドを見ると、毛布がこんもりと盛り上がっていて、おそらく中にいるであろう人物の呼吸に合わせ、規則的に上下しています。
「んあー、誰だね……」
 毛布がもぞもぞと不気味に動いてめくれ上がり……中から出てきたのは、絵師協会の最高責任者、ウォルターです。
「ああ、エレン君か」
 ウォルターはエレンの姿を認めると、ばりばりと頭を掻きながら体を起こして椅子に座ります。
「会長……この書類の山は今日中に片付けて下さいとあれほど……いやそんなことより!こちら書類の確認をお願いします」
 エレンはゴホンと咳払いをすると、抱えていた書類をウォルターに差し出します。
「んー、何々、新規の希望者か。
 ええと、指導者は……あー、オーギュスト=アムンゼイ?
 どうせまた偽者に決まっているだろう、まったく。最近は本物そっくりに判まで作る奴まで出てきたのか、紛らわしいことこの上ないな。職人を調べて締め上げないと」
 ウォルターはぶつぶつと文句を言いながらも”紹介状 絵師協会会長ウォルター=マーロック殿 オーギュスト=アムンゼイ”と達筆で書かれた白い封筒をナイフで開き、中の便箋を読み始めます。
「そもそも彼は年齢を理由に指導者を辞めたんだ、こんな書類でせっかくの僕の昼寝を邪魔して……ん?んん?」
 最初はイライラとしていたウォルターが、ある程度まで手紙を読み進めたところで数度の瞬き。年に数回しか見ない、珍しく真面目な顔をしています。
「会長?」
 エレンが尋ねると、ウォルターは便箋から顔を上げ、笑顔で封筒に元通りしまいます。
「やあ、これは驚いた!こいつは本物だよ!」
「何が書いてあったんです?」
 エレンにとっては全く迷惑な話ですが、サボり癖のあるウォルターにとって、日課となっている昼寝は至福のひととき。
 そんな昼寝を邪魔され、不機嫌であるはずのウォルターを笑顔にさせてしまう手紙とは、中に一体何が書かれていたのかが気になります。
 が、ウォルターはエレンが止める間もなく封筒を細かくちぎり、ランタンの火にくべてしまいました。
「秘密!僕と彼との間の秘密だ!」
「もし本物なら紹介状は今後の手続きに必要でしょう!燃やしてしまっては」
「どうせその手続きを最終チェックしてるのは僕なんだ、問題ないよ」
 ウォルターはうきうきとした様子で引き出しから書類を取り出し、さらさらと真っ白な羽のついたインクペンを走らせます。
「彼の弟子なら三次までの試験は実施する必要なし!面接と最終試験だけを行うよ。
 はい、これ。面接は十分後、十階の応接室を使うからバロウに準備させておいて。
 それから最終試験の相手はここにある通り。君のクイーンを使ってこの書類を届けさせてくれ。今から急がせれば彼女も明日の昼には戻ってこれるだろう」
 ウォルターは書き上げた書類をエレンに手渡すと、その背中を押して強引に部屋から閉め出してしまいます。
 半ば追い出されるようにして部屋を出たエレン。責任者としてあるまじき理不尽な行動に文句を言おうと振り返ります。
「会長!」
「早くしたまえ!面接に間に合わないよ!」
 扉ごしにくぐもった声が聞こえてきます。おまけにガチャリと内鍵の閉まる音まで聞こえてきました。
「全く……!」
 エレンは呆れながらも、面接の手はずを整えるべく階段を下りて行きます。

「はぁー……」
 アリーチェは机に頬杖をつき、窓の外をぼんやりと眺めながらため息をつきます。
 どうやらエレンは紹介状に書かれたおじいさんの名前を信じてはくれなかったようで、なんとなく冷ややかな態度を取りながら、会長の部屋があるという十五階へ上っていきました。
「本当に弟子なんだけどなぁ」
 会長とやらに紹介状が本物であると伝われば良いのですが、そうでなければ頼み込んでおじいさんを王都に連れてくる羽目になるかもしれません。
 紹介状を見た時のエレンの顔を思い起こしながらひとしきり落ち込んでいると、当の本人が階段を下りてきたのが視界に映り、アリーチェは姿勢を正しました。
「書類申請は通ったわ。
 本当にあのオーギュストの弟子だったのね。勘違いしてごめんなさい」
 エレンの言葉に、アリーチェはほっと胸を撫で下ろしました。どうやら、会長にはきちんと伝わったようです。
 エレンはがさがさと書類を引出しから取り出しつつ続けます。
「えーと、それで試験のことだけれど、会長の計らいで三次までの試験は免除。
 ということで、最終試験と面接だけでいいわ」
「め、免除?どうしてですか?」
 アリーチェが目をまん丸にして尋ねると、エレンは肩を竦めて首を左右に振ります。
「それはこっちが訊きたいぐらいよ。
 書類に目を通したかと思ったら、『三次までの試験はパスだ!』なんて言い出すんだもの。
 で、面接はこの後、本っ当に急な話で申し訳ないんだけれど……五分後に十階の応接室で行われます」
「えぇ!?」
 アリーチェは思わず大きな声をあげてしまい、慌てて口に手を当てます。唐突な話になんだか頭がくらくらしてきました。
「ご、五分後って、心の準備が」
 エレンは困ったように眉尻を下げます。
「会長はその、一度言い出したら止まらないところがあって。
 一応私も文句を言おうとしたんだけれど、無駄だったわ」
「はぁ」
 抵抗しようにも、正式な絵師になるには面接を受けて認められる他ありません。
「わかりました、十階の応接室ですね」
 今度はエレンがほっと息を吐きます。
「本当にごめんなさいね。
 それと明日の最終試験、パートナーが必要だからこの書類にサインをお願い。
 詳しくは、面接に合格したら明日説明があると思うわ」
 机に置かれた時計を見ると、面接までもう時間が残されていません。アリーチェは手早く名前を記入すると、椅子から立ち上がりました。
「じゃあ、あとはお願いします。
 ぴよぷー、いくよ!」
「ぴぃー」
 アリーチェが声をかけると、ぴよぷーが気怠げに体を起こしました。
 気絶からはすぐに復活したものの、普段の元気の良さはどこへやら。顔はどことなく青ざめ、羽は小刻みに震えています。
「さっきからどうしたのぴよぷー?
 具合が悪いならここで終わるまで待ってる?」
「ぷー!ぷー!」
 青い顔をしながらも全力で拒否し、ぱたぱたとアリーチェの元へとやってきます。
「ほんとにどうしたの?とりあえず、時間がないから急ぐよ?」
 こくこくと首を縦に振るぴよぷー。どう見ても大丈夫なようには見えませんがとりあえず飛ぶ元気はある様子。
 アリーチェはエレンに一礼すると、軽やかに階段を上っていきます。
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