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二章:湖城の秘密 その5

「アリーチェさんですよね?」
 エレンの指示通り十階に上がってすぐのソファで待っていると、階下からやって来た恰幅の良いスーツ姿の男性に声をかけられました。
 アリーチェは背筋をぴんと伸ばして立ち上がります。
「あ、はい!」
 アリーチェが若干裏返った声で肯定すると、男性は笑顔で頷き、大きくカーブを描いた通路の先を指差します。
「では面接を行いますので、この廊下の一番奥にある応接室へお入りください」
 男性はそう言うと、一礼して去ってしまいました。
 廊下は右手の奥に向かって伸びていますが、幅が狭い上に協会の丸い壁面に沿うようにして曲がっているため、奥の様子はわかりません。
 まさかいきなり面接を受けることになるとは露ほどにも思っていなかったアリーチェ。
 緊張のあまり、ギシギシと骨の軋む音が聞こえてきそうなぎこちない動きで足を踏み出し、足下の絨毯の柔らかさに驚きます。
「わぁ」
 特徴的な柄の、おそらくどこかの国の織物であろう毛足の長い絨毯は、ブーツを履いたアリーチェが上を歩いても足音一つしません。
「汚さないように気をつけないと」
 エレンとやりとりしていた二階はよくある普通の事務所でしたが、この階はどうやら来客用に特別豪華な造りがなされている様子。
 頭上を見上げればきらきらと光る小ぶりのシャンデリアがいくつもぶら下がっていて、柔らかな暖色の光が降り注ぎます。
 白い柱にはそれぞれ違う花の彫刻がうるさくない程度に施されており、同じくシミ一つ無い白い壁には所属絵師が描いたと思しき絵画がいくつも掛けられています。
 あのカラフルで眩暈を引き起こしそうな外観からは全く想像のつかない、それこそ異世界という表現がぴったりな場所です。
「緊張するなぁ」
 人里離れた森の中、それも自身が修復を施すまであちこちボロボロだった家で暮らしていたアリーチェにとって、こんな所に足を踏み入れるのは初めての経験です。
 服装もおおよそこの場所に似つかわしくない、朝から着たままの普通のシャツにホットパンツです。
 一応、きちんとした場所に着て行っても恥ずかしくないレベルの服も持ってきてはいたのですが、おじいさんの『適当な服の方がいい』というアドバイスに従って、素直に私服で来たのが裏目に出てしまいました。
「アドバイスなんてアテにするんじゃなかった……今からでも着替えに戻りたい……」
 ほとんど泣きそうな顔でため息をつくアリーチェ。
 とはいえ着替えはホテルに預けてありますし、今からこくばんで作るにしても、着替える場所も時間もありません。
 ホテルでの自分の行動を激しく後悔しながらもぎくしゃくとした足取りで廊下を進むと、ほどなくして行き止まりに行き当たりました。
 さっきの男性は”一番奥の部屋で”と言っていました。行き当たりの直前、精緻な彫刻の施された扉の前で立ち止まります。
 扉の上には”応接室”と書かれたシンプルなプレートが下がっています。どうやらここで間違いないようです。
 アリーチェが心を落ち着けるため、深呼吸をしようと息を吸ったところで。
「ぷー!」
 突然、追いついたぴよぷーが扉を見て甲高い声を出しました。
「びっくりさせないで……!
 だ、大丈夫?」
 振り返ると、ぴよぷーのトサカは真っ青に染まり、体の震えはさっきよりも酷くなっています。
「ぴぃ……ぴいぃ」
 ぴよぷーは扉から身を隠すように、アリーチェの後に回り込みます。
「ちょっとぴよぷー、どうしたの?」
 協会の建物を見て気絶した時、それから事務室やここでの挙動不審さ。
 平常時ならば辺りを我が物顔で飛び回り、窓から別の鳥を見かけては威嚇し、アリーチェに懇願されてようやく大人しくなるようなぴよぷーにしては、ちょっと理解のできない行動です。
 それこそ、まるで何か過去のトラウマにでも出会った時のような。
 まさかとは思いつつ、アリーチェは相変わらずな様子のぴよぷーに訊ねます。
「もしかして、前にここに来た時何かあったの?」
「…………」
「……あったのね?」
「…………」
 アリーチェの顔からわざとらしくふいっと視線を反らし、否定も肯定もしないぴよぷー。おそらく、ここで以前何か酷い目に遭ったに違いありません。
 このぴよぷーにトラウマを刻みつけることができるほどの出来事、が何かまではわかりませんが、自然と緊張が高まります。
 しかし絵師になるには面接は避けて通れない道。世界中を旅して廻るという夢のためにも、乗り切るしかないのです。
 アリーチェは生唾をごくりと飲み込むときつく拳を握りしめ、扉を叩――く直前で一瞬躊躇います。
「落ち着け、落ち着け」
 言い聞かせるように小さく呟きながら再度呼吸を整えると、目をぎゅっと瞑り、なるようになれ!と扉を力強くノックしました。
「失礼します!」
「はいはい、どうぞー」
 中から年老いた男のしゃがれ声が聞こえてきます。
 アリーチェが緊張に汗ばんだ手で扉を押し開くと、ロマナ草のいい香りと共に、落ち着いた色合いの部屋が視界に飛び込んできました。
 ダークブラウンの色調でまとめられた調度品やテーブルが並び、その奥のソファには……。
「うっ」
 極彩色の人型をした生き物が視界に入りました。
 思わず二度見をしてしまうアリーチェ。と同時に背後で何かが落ちる音。
「わ、ぴよぷー!」
 振り返ると、そこにはついに声を上げることなく床に倒れ伏したぴよぷーの姿が。
 ひっくり返してみると、白目を剥いてぴくりとも動きません。
「はっはっは、その鳥は相変わらずだなあ」
 ドア越しに聞こえたのと同じ声は、目の前の人型の生き物から発せられています。
 部屋をぐるりと眺めても、他に人らしき姿はありません。
 どうやらエレンの言っていた面接官、もとい絵師協会の会長はこの目の前の人物のようです。どうしようもない現実に頭痛がしてきました。
 ギラギラと威圧的なまでに光る髪留めでまとめられているのは、ムラなく綺麗に染められた紫色の髪。長く伸ばされた髭や皺だらけの顔からは年齢を感じます。
 センスが異常としか思えない目の前の老人は、カラフルなまだら模様の、しかも裾や袖に宝石のあしらわれたローブを身に纏っています。
 アリーチェはふと、私服でも大丈夫というおじいさんの言葉を思い出しました。確かに相手がこんな格好では、かしこまった服を着たところであまり効果はないように思えます。
 アドバイス自体には間違いはなかったものの、もう少しちゃんと説明してくれればここまでは驚かなかったのに、と呆れてしまいます。
「オーギュストの娘さんだね?」
「はい、あ、あの、そのような感じというか、違うというか……」
 極力目を合わせたくありませんが、相手は面接官。背中に嫌な汗をかきながら必死で問いに答えます。
「ははは、そんなに緊張しなくてもいい。
 さあ、そこに座って!面接をはじめるよ!」
 促され、再度気を失ったぴよぷーを抱いたまま向かい合ったソファに腰掛けます。
「しかし君があのアリーチェか。立派に育ったね。
 あ、私はウォルターだ。ウォルター=マーロック。
 ウォルターかマーロックかフルネームの中から好きに呼んでくれてかまわないよ」
「え、えーとウォル……いや会長さん」
 律儀に候補から選んでウォルターさん、と呼びそうになり、慌てて言い直すアリーチェ。ウォルターは残念そうな顔をしていますが、さすがに最高責任者を名前で呼び捨てにする勇気は持ち合わせていません。
「私のこと、知っておられたんですか?」
 アリーチェの質問に、ウォルターが意外だと言わんばかりに目を丸くしました。
「オーギュストから聞いていないのかい?」
「学友だったという程度には聞いています」
 おじいさんには、昔、絵師の資格を取るために通っていたヘウレスの技術研究学校で知り合った友人で、気さくな人だという程度のことしか聞かされていません。
「ふむ、そうかい。
 そうだね、今でこそほとんど顔を合わせなくなってしまったが、君のことを産まれた頃から知っている程度には親しくさせてもらっているよ。
 といっても、君の顔を見るのはこれで二度目だけれど」
 あれほど感じていた緊張があっという間に吹き飛びます。アリーチェは身を乗り出しました。
「あ、あの!それなら、私の父や母のことは……?」
 幼い頃はただただ純粋に、少し大きくなった頃からは不自然な態度に疑念を抱きながら、おじいさんに幾度もぶつけてきた質問です。
 ですがおじいさんがアリーチェの満足のいく回答を与えてくれた記憶はありません。
 いつもいつも『優しい心根を持つ母親だった』とか『勤勉で熱心な若者だった』とか曖昧な答えばかりで、アリーチェの一番気になる両親の生い立ちや、この世を去ってしまった理由に関しては口を閉ざし、答えてはくれないのです。
「一応、君の事情は知っているよ。オーギュストは何も話してくれないのかい?」
「……はい。本当に何も教えてくれないんです。
 いつもいつもはぐらかされてばかりで……。
 『心優しい二人だった』とか『不幸な事故で亡くなった』とか、曖昧にしか答えてくれなくて。
 私が本当に訊きたいことが何か、祖父もわかっていると思うのですが……。
 会長さん、できれば何か教えていただけませんか?」
 アリーチェの真剣な様子を見て、ウォルターは難しい顔で髭を撫でつけます。
「できれば教えてあげたいところだけれど……。
 オーギュストがあえて黙っているのなら、僕の口から話すことはできない、かな」
 アリーチェは食い下がります。
「何でも良いんです。ほんの少しでも構いません」
「すまない。冷たい言い方になってしまった。
 しかし僕が話すことによって『なんで教えてくれなかったのか』とか二人が喧嘩になってしまうと悲しいからね」
 ウォルターは困りきった顔をしています。おそらく、これ以上頼み込んでも返事は変わらないでしょう。
 アリーチェは仕方なく引き下がりました。
「……そうですね、すみません」
 頭を下げ、浮かしかけた腰をソファに落ち着けます。
「さて!」
 ウォルターが暗い雰囲気を打ち破るかのように、明るい声を出しました。
「それより、本題。君はどうして絵師になりたいんだい?
 オーギュストは君に絵師になることを強要したわけでもあるまい」
 当然、これぐらいは想定済みの質問です。アリーチェは間髪を置かずに答えます。
「もちろん、祖父のような冒険家になって世界中を実際にこの目で見て回りたいからです」
 絵師を目指すと決めてから十年。厳しい修行に何度も挫けそうになったり、絵師になるのを諦めかけたこともあります。
 ですがそういう時に決まって思い出すのは、幼い頃おじいさんが寝物語に聞かせてくれた冒険のお話でした。
 地図にない森、無人の孤島、煌びやかな都市の数々や、戦争によってうち捨てられた町。世界中様々な場所を巡り、無数の人々と出会い、時には命を賭して助け、時には助けられ。
 そんな体験を自分もしてみたい。そしてできれば、今までに誰も、それこそおじいさんですら踏み込んだことのない場所へ行ってみたい。
 それがアリーチェの絵師になりたい唯一無二の理由です。
「オーギュストを超えるのが君の目標かい?」
 ウォルターのまっすぐな視線。笑顔の中で、目だけは笑っていません。
 ”不可能だよ”。言外にそう指摘するかのような目。
 きた。ここが正念場だ。
 アリーチェはすうっと深く息を飲み込み、緊張を悟られないよう答えます。
「はい、できれば。
 会長さんも知っての通り、祖父は数え切れないぐらい色々なことをやっていた人なので……難しいとは思います」
 ウォルターが楽しそうに頷きます。
「だろうね。オーギュストは天才な上に努力家だから。
 普通の人間があいつの三倍ぐらい努力すれば追いつけるんじゃないかな?」
「さ、三倍……」
 寝る時間すら確保するのが難しそうです。
「でもあいつは学生時代、一日のほとんどを魔法の研究に費やしていたからね。
 誰にも追いつけるはずがないし、ましてや追い抜ける余地なんてどこにもなかった。それこそ笑いが出るぐらいにね」
 一日のほとんど、となると、寝食などの時間を抜いて十八時間といったところでしょうか。挑む前から眩暈がしてきました。
 同時に、ウォルターの言い方に何かひっかかりを覚えます。
「もしかして、会長さんもおじいちゃ……祖父を目標としていたんですか?」
「もう古い話だよ。私も今と違って真面目で若かったからね。
 ま、結果は見ての通り。中途半端に足掻いたせいで、面倒事は全部僕に押し付けられるようになってしまったよ。
 ……それで、君に勝算はあるのかい?」
「祖父が絵師を志すと決めたのは、十代の終わり頃だと聞きました。
 私はこれまで十年みっちりしごかれてきましたから、これからも日々の勉強とか研究とか鍛錬とか、怠らなければ可能性はあるかな、と」
「そう言いながら中堅に納まっている元オーギュストの弟子の絵師を何人も見てきたけどね」
「う……」
 確かに、誰にでも思いつきそうなことです。アリーチェにはそれ以上返す言葉もなく、俯いてしまいました。
「でも、君には素質がある」
 やっぱり十年、十五年程度の差では生来の天才を追い抜くことは不可能なのかもしれない。
「困難や絶望に出会うことがあっても、途中で折れてしまわないように頑張ってくれたまえ。僕も可能な限りサポートしよう」
 でも、十年で自分の元を離れた弟子は初めてだ、とおじいさんは言っていました。
「さて、面接は合格だ」
 それでもやはり望みはないのでしょうか。
 偉大で優しく、厳しい祖父を超えることは不可能なのでしょうか。
「……え?」
 アリーチェは一瞬、自分の耳を疑いました。
「聞こえなかったのかい?面接は合格だ。
 ま、本当はオーギュストの紹介ってだけで合格でも良かったんだけどね。
 どうせなら一度話しておきたいと思って呼ばせてもらったんだよ」
「そ、そうだったんですか……」
 それならそうと最初から言ってくれれば良かったのでは。そう思いつつ体中から力が抜けてしまい、大きく息を吐きながらソファの背もたれに体を預けます。
「さて、最終試験の説明は……どうせサポートにつく絵師がまだここにいないし、明日の早朝にしよう。
 朝鐘の刻に受付に来てくれるかな」
「わかりました」
 ウォルターが笑顔で膝を叩いて立ち上がります。
「よし!ではこれで面接は終了だ。明日に備えて今日はゆっくり休みなさい」
 アリーチェも立ち上がり、深く頭を下げました。
「明日もよろしくお願いします」
 結局目覚めないままのぴよぷーを抱き、アリーチェは部屋を後にしました。
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