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序章:ちいさな冒険 その7

「けがしてる!」
 見ると、狼は後ろ足に深い傷を負っていました。傷口はまだ塞がっていないのか、流れ出る血が雪面に赤黒く染みを作っています。
「ぐるる……」
 狼が横たわったままうなり声を挙げますが、その声から殺気は感じられません。襲い掛かる元気すらないようです。
 治療してやりたいところですが、さすがに手を出すとなると噛み付く程度のことはしてくるでしょう。治療が終わる頃には、アリーチェの手首から先がなくなっているかもしれません。
「ねえぴよぷー、”けがなおしてあげるから、さわってもいい?”ってきいてみてくれる?」
「ぷーぴー」
「おねがい」
「ぷぷー」
「ぴよぷーおねがい、にんげんのことばじゃつうじないだろうし……」
「……ぴぃ」
 嫌がるぴよぷーにしつこく食い下がり、ようやくやる気を引き出すことができました。
 ぴよぷーはいかにも嫌そうな表情で狼に近寄ると、何事かを話しかけています。
「ぴぃぴぃ、ぴーぷぷー。
 ぷーぴぷー」
 ぴよぷーの言葉に、狼は組んだ腕の上にあごを乗せたままちらりとアリーチェへ一瞥をくれたかと思うと、静かに瞼を伏せました。
「ぴー」
 ぴよぷーが戻ってきました。どうやら了承を得られたようです。さすが野生の生き物同士、といったところでしょうか。厳密に言えばぴよぷーは野生どころか生き物ですらないのですが、この際それはおいておきましょう。
「ありがとう!」
 アリーチェはぴよぷーに礼を言うと、刺激しないようそっと狼に近づきます。
 近づいて見てみると、傷は想像以上にひどいものでした。肉がえぐれ、骨が見えてしまっています。他の狼にやられたのかもしれません。
「ほうたいまくだけじゃダメだよね」
 ぴよぷーの鞄に包帯が入っているはずですが、それでは傷口は防げても、傷口から入った菌で炎症を起こしてしまう可能性があります。
「よし、こくばんで……」
 アリーチェはその場に三角座りをすると、白と黄のチョークを取り出しました。
 白のチョークでこくばんの端と端を何度も往復させながら、長い包帯を描きます。そしてその上からばい菌を殺せる薬、と想像しながら黄のチョークを薄くのせました。
「”ライズ”!」
 呪文を唱えると、雪上に黄ばんだ包帯が出現しました。
「これでなおるよ」
 優しく声をかけながら、痛々しい傷口に丁寧に包帯を巻いていきます。
 その間狼は抵抗するそぶりもなく、じっと眠ったように瞼を閉じたままでした。
「できた!」
 巻き方は歪で妙にそこだけ足が太くなりましたが、それでも包帯に隠れてもう傷口は見えません。
「ぴよぷー、”おわったよ”って伝えてあげて」
「ぴぴぷー、ぴぴぃ」
 きちんと伝わったのでしょうか。狼が短く息を吐きました。
「さて、どうしよう」
 狼の件は一件落着。ですが本来の目的はまだ果たせていません。おじいさんが来るまでになんとか森を抜けなければならないのです。
 ふと、アリーチェの頭にいいアイデアが浮かびました。ダメ元で試してみる価値はありそうです。
「もしかしたら、おおかみさんなら森のでぐち、しってるかな?
 ぴよぷー、きいてもらえる?」
「ぴー……」
 ぴよぷーがまたか、という顔をしています。
「おねがい、これでさいごだから」
「……ぷーぴーぴぴぴぃ、ぴーぷぅ?」
 ぴよぷーはとても面倒くさそうに狼に尋ねます。
 狼は薄く目を開け、ぴよぷーの声に耳を傾けたかと思うと、数秒の後のっそりと起き上がりました。
 寝そべっていた時には真っ黒な左わき腹しか見えませんでしたが、その背中と首の後ろの毛は雪のように綺麗な白銀の色をしています。
「え?え?」
 もしかして森の出口まで連れて行ってくれるのでしょうか。とはいえ、狼は足に怪我を負っています。無理はさせたくありません。
「おおかみさん、むりしなくても、もう少し休んでからでもいいよ!」
 足を引き擦りながら歩き出した狼に、たまらず声をかけます。
 けれど狼の足の歩みは止まりません。
 どうしたらいいものか、とアリーチェが立ち止まっていると、狼はこちらを振り返り急かすように首を動かします。
「ぴぃぴぃ」
 ぴよぷーまでもが、早く行けと忙しなく羽をばたつかせてアリーチェの周りを飛び回ります。
「わかったわかった、いけばいいのね?」
 アリーチェはしぶしぶ歩き出しました。
 それを見て取った狼は前を向くと、相変わらず足を引き摺りながら先導してくれます。
「ねえ、むりはしないでね?つらくなったら休んでいいからね?」
 念を押すように、何度も何度も狼に声をかけます。
 けれど狼は結局一度も休むことなく、森の出口まで歩き続けました。
 出口に近づくにつれ、木の密度が減り、草の踏み荒らされたあとがいくつも散見されるようになっていきます。
 やがて一際大きな木を通り過ぎると、そこはもう森の外でした。
「わあ、やった……!」
 久しぶりに見た太陽に、思わず歓声を上げてしまいます。
 家を出てから経過した時間は既にわかりませんが、とにかくついに森の出口に到着したのです。
 アリーチェは狼の首元に抱きつきました。
「おおかみさん、ありがとう!
 まだけがなおってなくてあぶないから、ゆっくり休んでね?」
 アリーチェの言葉に、狼は小さく鼻を鳴らします。
 腕を離すと、狼はまっすぐ森へと帰っていきました。
「ばいばーい!おおかみさん、ありがとー!」
 姿が見えなくなる頃、大きな声で改めて礼を告げました。
 それに応えるかのように、うおぉーん、と大きな遠吠えがひとつ。
 完全には無事とも言えず、自力でとも言えませんが、森の出口には辿り着きました。あとは買い物を終えて家に帰るだけです。
「ぴよぷーもありがと!はやくかいものしてかえろ!」
 アリーチェはリロフォンの町に向け、走り出しました。
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