あの頃の甘酸っぱい思い出をもう一度
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二章:湖城の秘密 その10

 ネズミを捕獲してから十五分ほど歩き、当初の目標時間を大幅にオーバーしつつも、三人はやっと城へと繋がる入り口を見つけました。
「あそこから入れるわ。ようやくね」
 リズが指で示す先には、腐敗して黒ずみ、朽ちかけて今にも壊れてしまいそうな薄っぺらい木製の扉。
「ラプト、向こう側に誰かいる?」
 リズに問われたラプトは、腐り落ちた扉の隙間から部屋の様子をちらりと覗きます。
「ン……ダレモイナイ、カラッポ」
 リズはラプトに警戒するよう伝えてから取っ手を握り、力を込めます。が、扉は今にもへし折れそうなギシギシという嫌な音がするばかりで開きません。
「内側から簡易錠か何かがかけられているわね」
「ちょっと触らせてください」
 ハミットが前に出て、肩を使って扉に軽く力をかけます。扉はたわんで音を立てますが、やはり開く気配はありません。
「んー、木が腐っていてボロボロですし、僕なら力ずくで壊せそうですが」
「いくらボロボロでも、蹴破る時に音がするでしょう。危険だわ」
 リズはハミットの提案に同意せず、あくまで慎重に事を進めようとします。そこへアリーチェが口を挟みました。
「でも、シロちゃんに見つかってますし、これ以上時間をかけるよりはその方が」
 リズは意見したアリーチェの顔をまじまじと見やり、「それもそうね」と同意しました。
「では、ハミット。思い切りやってちょうだい」
 ハミットはネズミの入ったカゴを足下に置き、大きく肩を回して体をほぐします。
「承知しました。少し離れた場所にどいていてください」
 見張りのラプトを残し、アリーチェとリズ、ぴよぷーは扉から離れます。
「ちょっと、ぴよぷー。あんたも見張り!たまには役に立ちなさい」
「ぷー……」
 アリーチェに抗議の視線を送るぴよぷー。
 しかし、アリーチェの記憶が正しければ城門をくぐって以降、ぴよぷーが役に立ったところを見ていません。
 ラプトがネズミを見つけ、捕まえてきた時でさえ、アリーチェの頭上で眠そうにしていたところを抱きしめられ、迷惑そうな顔をしていただけ。
 少しは使い魔らしく動いてもらわねば困ります。
「眠いのはわかるけど、恨めしそうな顔をしても駄目。あんたも戦力として数えられてるんだから。
 働かないなら”や・き・と・り”あげないわよ」
「ぴ!ぴぴぃ!」
 大の好物を食べられないとあってはさすがに困るのか、慌ててアリーチェの頭から飛び立ち、ラプトの元へと飛んで行くぴよぷー。現金なものです。
「はぁ、まったく」
「ではいきます。ラプト君、ぴよぷー君、頼むよ。……それ!」
 ハミットが助走をつけ、勢い良く肩から扉にぶつかると、もうもうと煙を上げて扉はあっさりと向こう側へと倒れました。
 同時に二匹が素早く部屋へ入って行き、夜目の利くラプトは罠が仕掛けられていないかを、気配に敏感なぴよぷーは敵が潜んでいないかを確認。その間、三人は外でいつでも対応できるように構えて警戒します。
 間もなくして、中から二匹の声が聞こえてきました。
「ダイジョウブ、ナニモナイ」
「ぴー!」
 リズがアリーチェに問います。
「……ヒヨコは何て言ってるの?」
 ぴよぷーの「ぴー」は肯定、「ぷー」は否定の意味です。となればさっきの鳴き声から推測すると。
「ええと、何もいないそうです」
「安全確認完了。それでは中に入って」
 ハミット、リズ、アリーチェの順に部屋へ入ると、リズの持った燭台の灯かりで室内がぼんやりと照らされます。
 地下深くのせいか、じめじめとしてかび臭く、ハミットが扉を倒した時の衝撃で埃が舞っています。
 当時まだこの城に国王が住んでいた頃、一応、この部屋には見張り役が待機させられていたのでしょう。人が五人も入ればかなり窮屈に感じる程度の広さの室内には、テーブルに椅子、棚や簡易ベッドといった一通りの家具が揃っていました。
 ですが、そのどれもが厚く埃を被っています。床には、ラプトやぴよぷーのものに混じって、先ほど捕まえたネズミのものと思しき小さな足跡が残っているほどです。
「この様子じゃ何もありませんね」
 ハミットがつまらなさそうに靴先で埃を弄びながら呟きます。
 確かに、この埃の積もり方やクモの巣だらけの部屋の状態からすると、少なくとも十数年程度は誰も入った様子がなさそうです。
「あのう、すみません」
 声をかけられリズが振り向くと、アリーチェがなんだか疲れた表情をしています。
「どうしたの?」
「ほっとして力が抜けてしまったみたいで……ちょっとだけ休憩させてもらえませんか?」
 答えるアリーチェの顔色は、酷く悪いように見えます。
 試験に対する緊張や、追っている相手が殺人鬼だという恐怖感、暗く長い地下道を歩き通したことなどで精神的な疲労が溜まってしまったのでしょうか。
「どうします?」
 ハミットに問われ、リズは埃の積もった椅子に手を伸ばします。
「仕方ないわね、十五分ほど休憩を取りましょうか。
 ほら、これに座って」
「うー、ごめんなさい」
 ここで無理を強いても、使いものにならないどころか足手まといになりかねません。
 不合格と切り捨て試験を終えるのは簡単ですが、今追っている相手は国民の不安を煽るだけでなく、協会にとっての脅威。この機会を逃せばまたしばらく足取りが掴めなくなり、ただでさえ人員不足気味な協会に更なる被害を生んでしまいます。
 あの凶悪犯をたったの三人で捕まえたとなれば当然、指揮を執ったリズの協会内での地位も上がります。
 リズが埃をはらって差し出した椅子に、アリーチェはぐったりと腰掛けます。一仕事を終えたぴよぷーがその足下にどすんと腰を落とし、五秒と経たないうちにいびきをかきはじめました。
「ぴよぷー、あんたね……」
「ラプト、いらっしゃい」
 一方リズは別の椅子に座り、呼び寄せたラプトを膝の上で優しく撫でてやります。撫でられているラプトはごろごろと気持ちよさそうに喉を鳴らしながらも、リズに言われるまでもなく入ってきたのとは反対側の扉を見やり、それとなく警戒するという、使い魔として出来た態度。
 完全無警戒爆睡モードのぴよぷーとは大違いです。
 ハミットはというと、城内の地図を埃まみれの机の上に広げ、別の椅子の上、というより埃の上に無造作に腰を落ち着けました。
「この部屋は……ここね。外は牢獄につながっているわ」
 リズが指差したのは、四段に分けて描かれた地図の一番下段、地下の細長いフロアで、階段と間逆の位置にある部屋でした。
「牢獄……ですか」
 王城の牢獄といえば、特に大罪を犯した人間――それこそ、本来は人を守るために使われるべき”魔法”を用いて殺人を繰り返すガブマースのような――が国王に直々に裁かれ、放り込まれる場所です。
 地下通路で聞いた王の死に関係する話もそうですし、何よりこの廃城には絵師連続殺人の犯人、ガブマースが潜んでいるのです。
 ここには自分の苦手な死の臭いが立ちこめている。そう思うと、アリーチェの背筋がぞくりと粟立ちました。
 新米絵師の表情が強ばったのを見て、リズが補足します。
「言っておくけれど、もう何十年も昔の話よ。血の染みぐらいは残っているかもしれないけれど、大抵のものは一般公開に向けた大規模な改修工事の際に撤去されているはずだわ。
 あなたの心配しているような景色は広がっていないわよ」
「そ、そうですよね」
 リズの言葉に、ほっとして胸をなで下ろすアリーチェ。
 気持ちを切り替え、地図でしっかり城内の構造を頭にいれるべく身を乗り出しました。
「ハミットはこの部屋で待機する方が楽でしょうけど、階段の位置的にあたし達の移動が手間になるから、階段側の空いた牢屋で待機してもらいます。いいわね?」
「ええ、構いませんよ」
 ハミットの同意を確認し、リズは言葉を続けます。
「地下でハミットが待機している間、あたし達は上の階でネズミの捕獲優先で行動行します。
 もし戦闘が起こった場合はとにかく大きな音を立てて仲間に知らせること。逆に大きな音が聞こえたら仲間に合流して頂戴。
 何か質問は?」
 問われたアリーチェは人差し指を唇に当てて数秒思案した後、口を開きます。
「……人がいた気配がするとか、証拠が残ってるとか、そういう時はどうするんですか?」
「時と場合によりけり、ね。
 捕獲されたせいで五感を共有できなくなったネズミのその時点での位置から、あたし達のある程度の行動は読まれてしまうわけだし、相手の目や耳を塞ぐ、という観点で見ればあまりネズミの捕獲に固執しすぎても仕方ないわ」
 とはいえ残りのネズミの数が多いうちに追っても捕まるはずがないし、ある程度は数を減らしてからだけれど。と注釈を付け加え、リズは「どう?わかった?」と目線で問いかけます。
「なるほど……わかりました」
「とにかく迅速に行動して次にどう出るか、を悟られないことが重要よ。
 時間が経つごとに同じ場所でじっとしているだけのハミットの危険も増していくから、慎重に素早い行動を心がけること。
 もう少しこちらの人数が多ければ数で押すこともできたんだけれど、会長の粋な計らいのせいでこちらは三人と二匹しかいない。
 かなりギリギリになることが予想されるわ。気を抜かずに頑張りましょう」
 そこで一旦言葉を切ったリズは、腕にはめた時計を確認します。
 時刻はちょうど日付を跨いだ辺りで、休憩をはじめてからまだ五分しか経っていません。
「十分も残っているわね。どうしようかしら」
 この後の事を考えれば出発するにはまだ休憩が足らず、かといってただただ時間が経つのを待っているというのも勿体ない、中途半端な残り時間。
「簡単な歴史のお勉強というのはどうでしょう?」
 アリーチェを見ながら提案するハミットにつられて、リズもひよっこ絵師の顔に目をやります。
「え、ええと……?」
 二人に見つめられ、たじろぐアリーチェを見てリズが思い出したのは、ここに来るのに通った地下迷路でのアリーチェの挙動です。
 ハミットにからかわれ、怯えて想像をやめてしまった、のはいいとして、あの時この城にまつわる話を初めて聞いたかのような反応だったのが気になります。
 二代前の王、アネッサや当時のアルカノス教の教皇派の過激な活動といえば、少しでもこの国の歴史をかじっていれば知っているであろう常識です。
 いくらアリーチェが田舎暮らしで無知であったとしても、絵師協会はフェルブノイの国や国民を守るための組織として国王に認められた正式な組織。
 そんな組織の一員になるというのなら、せめてここ百年、二百年間の国の歴史ぐらいは知っておくべきでしょう。
「アリーチェ、貴方アルカノス教がどういうものか知っている?」
 アリーチェは困ったように首を傾げます。
「あるかのす……さっきハミットさんが言ってたやつですよね。教、ってことは宗教か何かですか?」
「知らないのね……」
 あんまりな返答に、リズは頭を抱えてしまいました。どうやらこの様子では本当に何も知らないようです。
「わかったわ。では十分間、歴史のお勉強の時間にしましょうか」
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